T&Iアソシエイツ代表の田中薫です。
海外からいろんな理論や手法が紹介されます。これらは欧米、特に米国から次々入ってくる外来語、カタカナ言葉、専門用語が載った、いわば舶来品、輸入物です。
経営学で紹介される理論は欧米の学者によるものばかり、ITの世界でも欧米企業の製品サービスばかりで、我々が享受するのはその翻訳物。昨今なかなか日本オリジナルなものにお目にかかれません。
海外の理論や手法、事例といったものが翻訳・紹介されること、こうした舶来品の理論や手法を勉強し、参考にすることに意義はあります。
しかし、ややもするとそれらを妄信、過信したり、舶来品を導入しない人や企業は遅れている/間違っているかのような強迫観念を持ったり/持たせたり、あたかも舶来品が万能であるかのように伝えたり、紹介されたり、といった傾向がいまだ見受けられるのが残念でなりません。
助長してしまっているのが一部の専門家(学者、コンサルタント、ITベンダ、メディア等)であったり、そこに専門家の存在意義や収益が絡んでいたりするところがこれまた厄介です。
経営者や現場の方々には、舶来品それぞれの本質や生まれた背景、時宜や適宜を見ずに、鵜呑みにすることはかえって危険、と改めてお伝えしたいと思います。
理論でも手法でも何においても、舶来品が万能であれば、導入した多くの企業にもっと活気が感じられてよいはずですが、舶来品をそのまま自社に当てはめようとして反っておかしくなってしまう企業すらあります。
小さな例を挙げれば、海外企業に倣って成果主義を導入したら社内の協力関係が低下したり、著名で高価な海外のITツールを導入したのに使いこなせず、現場が混乱するだけになっていたり、といったことはこれまでも繰り返されてきました。
クラウド、AI、IoT、イノベーション、ダイバーシティ、CSR、SDGs・・・。
日本発の言葉でも、Connected Industries、Society5.0・・・。
言葉や脈絡は皆さんの社内できちんと共有されているでしょうか?
教えてくれている専門家は部分だけでなく、きちんと全体も考慮して伝えてくれていますか?
舶来品、海外から入ってきた言葉、誰かがしてくれた翻訳をそのまま受け入れるのではなく、自社として咀嚼、腹落ちしたものでなければ、意味あるものにはなりません。
舶来品の理論や手法、ITツールもひとつの手段(HOW)。
手段がいつの間にか目的になっていないか検証が必要な組織もあるのではないでしょうか?
結局、舶来品を応用して、自社は何(WHAT)をしたいのか?
それはなぜ(WHY)か?
戦後日本は欧米に追い付け追い越せでやってきました。
経営理論もITやバイオテクノロジーなど技術面でも、日本がこれまで欧米、特に米国に学ぼうとしてきたのには一定の合理性があったでしょう。
しかし、終戦から70年以上が経ちました。
超高齢社会の日本はある意味、世界の最先端を行っています。
それでもまだ、答えが外からやって来るのを待ち続けるのでしょうか?
そもそも、舶来品として珍重しているもののなかにもよく見ると、日本の人や組織が無意識に持っていたもの、そこに欧米の人が価値を見出し、理論化したものもあります。
思いつくまま大雑把に挙げれば、リーンスタートアップはトヨタに学んだものだとか、OODAやデザイン思考的なものは実はかつて日本企業でも似たようなことが行われていたとか、SDGs、CSRなどは近江商人の三方良しに通ずるとか、AppleのスティーブジョブズやGoogleといった米国企業で話題になるマインドフルネス、瞑想などは禅から学んだものだとか。。。
日本人は体系化したり、形式知として共有したりするのが苦手で、欧米の人はそれらが得意なようにも見えてしまいます。
一方で、欧米、特に米国ばかり気にしているうちに、日本は韓国や中国に抜かれた分野もあります。
多少の時間差はあっても今は世界でほぼ同時多発的に同じようなことが起きる傾向が強くなっています。学ばなければいけない対象は米国だけではなく、世界各地にあるとも言えます。
先進国と言われた国々の状況が怪しくなり、Gゼロ、リーダー不在の時代とも言われています。
何より、米国や米国企業が今目指しているものと同じものを、日本や日本企業は目指しているのでしょうか?
望んでいる社会、そこに帰属する人々の姿や生活、文化、風土はそもそも同じでしょうか?
日本といっても属する人や組織は様々ですが、少なくともそれぞれ目指すゴールは他者から与えられるものではなく、自分(自社)で見出すものでしょう。
そのためには、社会や世界といった自らを取り巻く環境の変化を見ながらも、自ら、その存在意義、果たす役割、提供する価値を問い直す必要があるでしょう。
自分たちの置かれている状況や歴史を踏まえつつ、望む未来に向けて、自らの目指す方向性を見出し、そのために舶来品も含めていろんな考え方や手段を検討し、適宜適切に参照することが求められます。
他者依存の妄信ではなく、主体的に考え、選んで活用することが大切になります。
学者やコンサルタントなど専門家が答えをくれるのではありません。
当事者に必要な知識や情報、考え方を提供し、当事者が答えに気づくのをお手伝いするのが専門家の本来あるべき姿でしょう。
特に、×Techの変革の時代に今後の道筋を考えるうえでは、特定の理論や手法だけを「教える」専門家のみに依存するのは非常に危険です。
今必要なのは、外に答えを求めることではなく、内にある答えとチカラを引き出すこと、そのために専門家を場面に応じて使い分けることでしょう。
(後編へ続く)
続編では、変革への向き合い方として、大手・中小企業の経営幹部の方のお話なども交えてご紹介します。