T&Iアソシエイツ代表の田中薫です。
期待と不安が入り混じる心境で新入社員が入社してきました。
あちこちで研修が行われています。
私もこうした研修の講師をさせて頂くことがあります。
そこで気になるのが「教える」「教えられる」という両者の関係性です。
世に教えたがりの人は結構多いです。
ある意味、知識を共有することで進化してきた人間は「教える」のが元来好きな生き物と言えるのかもしれません。
いわゆる「先生」と呼ばれる職業には教えるのが好きな人が多いです。
コンサルタントもその1種と言えるでしょう。
教えている側は多くの場合、「相手のことを思って」「良かれと思って」教えています。
しかし、この善意は案外曲者です。
教えている側が「教えている」ことで無意識に以下のような感覚に陥っているケースは意外に多く、このような場合は要注意です。
① 自分は相手の役に立っているという「陶酔感」
② 相手より自分は優位にあるという「優越感」
③ 相手をコントロールしている「支配感」
こうした感覚は年齢や職位が上がるにつれ、増す傾向があるように思えます。
また権威主義的な傾向の人にも見受けられたりします。
①はともかく、②では既に相手の潜在的な能力に対する過小評価が生じている可能性があります。
➂までくると、もはやそこでの教育は弊害でしかありません。
このとき、教える、教えられるという両者の関係にはいつの間にやら上下関係が生じています。
年齢、性別、国籍いろんなもので人との関係を無意識に上下関係で捉える人はいまだに多いです。
このような関係の下ではイノベーションの芽は育ちません。
今はオープンイノベーションが求められ、今までにない思考や行動が求められています。
そんなときに無意識にも、旧来型の思考・行動のまま、教える側が相手を自分の理解可能な、コントロールできる範囲内に留めようとしていたらそれは大きな問題です。
上下関係は依存関係を生んでしまうことも多いです。
教える側では誰かに依存される、頼りにされることに「陶酔感」や「自己肯定感」を覚え、自分の「存在意義」を見出す人もあります。
それ自体が悪いわけではありませんが、度を超すと相手の自律を阻害します。
「相手のことを思って」いるつもりが、いつの間にか「自分のことを思って」教えていたりするわけです。
教えている側は相手本位 or 自分本位なのか、意識しておく必要があるでしょう。
以前、経済学者の松井彰彦先生が“学生の「わからない」には要注意”と書いておられました。
学生が「わからない」というので、「わからないなら、じゃあ、教えてやろう」と思ったら、教員の自分が作った問題そのものが間違っていたのだそうです。
そのとき「わからない」といったその学生は後に米国の著名な大学に行き、今では松井先生を超える研究業績を残しているのだとか。
松井先生は“学生の能力は青天井。自分は名馬を生み出す名伯楽”とも書いていらっしゃいました。
変革の時代、今まで以上に教える側は相手の能力を過小評価せず、潜在力を引き出すことに注力すべきでしょう。
相手が自分を超えることで自分の存在が脅かされるのを恐れ、相手を低位に置き、支配する。
それによって自らは上を目指す必要がなくなり、現状維持ができる。
そんな自らの成長への努力を放棄した人の下では、教えられる人の潜在力は開花しません。
教える側が陶酔感、優越感、支配感に浸っているとき、教えている人自身が自律できていない状態にあると言えます。教える側が自律できていなければ、教えられる側に自律を促すことはできません。
イノベーション創出には自律した人財の育成が不可欠です。
「教える教育」からいち早く「引き出す共育」に転換するには、教える側の意識改革が必要でしょう。
教える側は「相手の力を引き出す」ことで自らも相手から学び、共に育つことが求められます。
共創には共育が必要です。
相手に「教える教育」から相手の力を「引き出す共育」へ、いち早く転換できる企業が変革の時代を乗り切れる企業だと考えます。
宜しければ以下もご参照下さい。
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